11/22/2014

美しくないものフェチ

美しくないものフェチ

こんにちはおわバードです

前回のブログで

美しくないものフェチになれば
美しくない、優れていない
自分でも、
好きになれるのではないか?

今回はそこ考えたいと思います。

僕は自分が認められない。

絵が描けない(優れていない)
美しくない(かっこよくない)
から

でも、僕は絵を描いていたい
元気でいたい。

そこで、あまりにも理想論に
窮屈になりすぎず
美しくないものでも
愛せるようになれば
自分のこと嫌いな気持ちが
楽になるのでは?という発想です。

でも、大前提に僕は凡人です。
美しいものが好きです。
優れているものが価値があると思います。

でもその許容範囲を少しでも
広げられたら、
世の中もっと楽しくなるのでは?
と思います。
自分の醜さも少しは
許せるようになるかも?です。

多分世の中にはいろんな
フェチズムがあると思います
恐らく美しくないものフェチも、名詞を変えて
世の中には存在していると思います。

要は何に対して好意的に思えるか
ということですよね。

僕は自分を変える気はないです。
散々、優柔不断な自分に嫌気がさしてますから
別のブログでも書いたように
人の意見にふらふら左右されずに
自分の意見に耳をすませたいです。

共感によって他人に従う場合も
人間だからあるので、そこも完璧主義の
フィールド薄めたいですが、
ゆらいじゃいけないときもある。

そんな自分でも
美しくないものに心から好意的に
感じる感情を見つけられるか?

別のブログでも書いたように
感情はもともと持って生まれてくる
ものではなくて、生きていく中で
発見して育てて、習得するものでも
あると思います。

きっと、僕の目指す感情もあるはずです。

ではなぜ美しいもの、優れている
ものが好きなのか?

それはそのものに心を救われてきた
からだと思います。

自分に希望を与えてくれるものは
人は好きになると思います。

では、美しくないものでも
人に希望を与え、世の中には
幸せを生むと、気づければ
好きになれるのでは?

でも自分の感情はなかなか
コントロールできません

美しくないものに心が救われる
瞬間なんて、狙ってできることではない
かもしれないです。

運も必要かもしれません。

でも可能性はあることです。

もしかしたら、すでに心の中にあって
忘れていたり、自分では意識していない
ことだったりするかもしれません。
そこが繋がったときが

美しくないものフェチの
始まりだと思います。


よんで頂いてありがとうございました。

自分を認めたくない。へ


今日のVine宇宙

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