4/23/2015

今日の考え事「なぜ人は争うのか」

思いっきり僕の考えです。
なんの専門家でもない
一般人の考えです。

なぜ人は争うのか、
人はものすごく頭のいい生き物です。
まさに僕みたいな一般人には
計り知れないほど頭のいい人もいます。
そんな頭のいいひとがたくさんいるので

争いごとがどれほど辛いことか、も

どんな小さな子供でも
わかっていると思います。

でもひとは争いごとをやめることができません。
僕の考えとしては
争いごとがなくならない理由、

それは命があるからです。


命とは生きること、死ぬこと。

その両方を同時に兼ね備えた存在だからです。
命を守るため、命を奪うためひとは争います。

つまり命の概念がある限り
たとえどんなにひとが頭良くなろうと
争いという概念は消えないと思います。

ひとが命を元に生きている限り
争いと言う考え方は消えない。
不思議です。
命があるから人は生きられる。
命があるから人は死んでしまう。

僕はこう思います。
命はひとの意識を超える場所にある
ということです。
ですので争いごとにも
考えてする戦争のような争いと
追い詰められて争ってしまう事件ような
不可抗力的な争いがあります。

特にこの不可抗力的な争いこそ
命という存在がある限り
無くならないと思います。

そしてこの不可抗力的な争いが
幾重にも重なる限り
戦争のような大きな争いになる。
また、争いごとだけが原因じゃなく
環境や病気などで起こる争いもあります。

命は偶然生まれた。この宇宙のように
誰もその存在を支配しきることはできない
命は自由な存在。



では戦争がなくなること、
この世界から
悲しみや痛みが無くなることを
ひとは諦めなければならないのか?

僕は諦めの悪い人間です。
天邪鬼な人間です。

ですから不可能とわかってても
争いがなくなる方法を考え続けたい。

なぜ、人は争うのか。

それはひとが生きているから
より良く生きようともがいているから
だと僕は思います。

争いとは進化の過程なのだと思います。


スポーツでも人は競います。
ゲームや遊びなんかでも人は競います。
競い合うおかげて
素晴らしい試合があったり
新記録が出たり
喜びが生まれたりします。

そうなのです。
この世に争いごとが絶えないというならば
僕たちがしなければいけないことは

最後には喜びが待っている、互いに笑いあえる
戦いをしなければいけないのです。
互いに殺し合う、悲しみしか待っていない
争いごとはしないことです。

大切なのは互いに理解しあい許すこと。人を殺さないこと。

深呼吸してみてください。
命はとても優しいものです。
生きているかぎり
ずっとそばにいてくれます。

生きていることに感動すれば
ひとの命が尊く感じるはずです。

命を奪おうだなんて気持ちは、
消えてなくなるはずです。

人は頭のいい生き物です。でも同時に
まだまだ進化の途中な生き物です。

おそらく僕の言う理想も
頭ではわかっていても
実現するには
途方もない理想なのかもしれません。

そしてまた人は争うだろうと思います。
でも、それは互いを理解しあい
最後にはともに笑顔になれる争いであることを

僕は願います。

vine「魚」

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