9/24/2015

その場面に直面して初めて意味がわかる。

誰にも教えられずに渡された
歪な形の鉄の棒がある


それは何の前触れもなく
自分の手に渡される。

その棒がなんなのか
僕たちは知らないまま
僕たちは生きて行く。

音を聞いて、風景をみて、
仕事をして、周りの人たちと
生きて行く。

その中で様々な困難に直面し
挫折したり、成功したりして
自分の住む世界のことを知って行く。

人はきっと神様に比べたら
知らないことが多い。

知ったと思ったことも
実は一方的な方向からみた
ほんの一部分的な表面でしか
なかったりする。

人から聞いた話、噂話で、
ニュースで、ネットで、昔話で
イメージで世界を理解する。

そうして作られた自分の中の世界に
いつの間にか溶け込んでしまって

自分で体験したことでもないことまで
世間の一般常識として、現実になる。

事実なのか、気がするだけなのか
曖昧になってしまっている。

そんな中で不意に人生最大のチャンスが
目の前に、大きな扉となって現れる。

その瞬間に、いつ渡されたのかも
曖昧な歪な形の鉄の棒が

チャンスの扉を開ける鍵だったと気づけたら

ぼくたちは強く次の世界へ進んでいける。
実はそんなチャンスの鍵を僕たちは
無数に受け取ってる。
大きな扉や小さな扉、いろいろな
形の扉を開ける鍵。

鍵と認識できないだけで、僕たちの手には
渡されている。知らないうちに。

その場面に直面して初めて意味がわかる。


出会う前と出会う後では
まるで別人のように考え方は変わる。
自分では変わってないつもりでも
星が流れるように、太陽が沈むように
まるで株価が毎秒変わるように
テレビ番組が流れるように
世界は変わる。

そんな刹那の瞬間に
鍵が鍵の意味を持つ瞬間に
扉が扉の意味を持つ瞬間に

光が交差する瞬間に
その意味がわかれば、
人は強くなれる。

その意味の鼓動は今、この瞬間も
鳴り響いている。

僕たちが気づくだけ。
気付けるかだけ。

ぼくは気付けるだろうか笑

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