こんにちはおわバードです。
わかることを意識することができる人が
どんどん賢くなっていく気がする。
今日はそんなお話です。
難しいことを勉強すると
わからないと思うことがあると思います。
そんなとき、二つの考え方があると
僕は思います。
わからない事に直面した時。
「わからない」と思う人。と
「わからない」けどその中の「わかること」に目をむけること。
ここで、わからない事に対して
「わからない」を意識してしまうとき
人の思考は止まってしまうと思うんです。
そして、そのままで終わってしまうのが
「興味のないこと」になると思います。
たとえば好きなことをする時を思い返して下さい。
料理をするのが好きな人は
美味しい料理に出会った時
どうやって作るのか「わからない」
でも、わからないけどなんとか
わかる部分を見つけて、そこから
糸を手繰り寄せるように
レシピを探します。
動物が好きな人は動物と戯れる、
でも最初は動物が何を考えて
何をするのかは「わからない」
それでも動物を戯れて、観察して触れ合うことで
動物が何を望んでいて、何を喜ぶのかを
学ぼうとします。
知識を深めるというのはきっと
「わからない」の中の「わかる部分」を
見つける作業を繰り返していくこと
なんじゃないでしょうか。
全てを「わからない」と
ひとくくりにしてしまうことは
そのものの細部に目をやれていない
ことだと思います。
全てを理解することはきっと難しいと思います。
でもきっと、わかるわからない、0か1で
物事を表現するのも時には必要かもしれないけど
もっといろんなグラデーションをもつ
知識の持ち方もあってもいいのかなって思います。
わからないことだけど、入口の5合目までは
なんとかわかるよって感じで
ちょっとだけ、首を突っ込んでみることで
いままで意識しなかった好きなこと
のめりこめるものが見つかる
きっかけになるのかもしれません。
そして、その知識を深めることができる人は
その知識をどうやって調べるか。
その能力に長けています。
そのやり方はたぶん伝統や文化、つまり
コミュニケーションの中につまっていると思います。
賢い人の真似をするのが賢くなる近道。
賢い人はどんな風に考え、どんな風に調べているのか
その深くが僕にはわからないから
ぼくは賢くない、でもわからないのうちの
わかる部分を少しずつ積み重ねていけば
賢くなれる気がします。
きょはそんな風に思いました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
記念すべき四コマ100回目ありがとうございます。
またPIXTAにリクエストしました。
審査に通ってくれたらいいな!
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