6/08/2015

「ぼくにできるところまで」

ぼくにできるところまでの線を持つ。


ぼくは絵を描いて
他人に認められたいとか
自分の納得できるものが
作りたいとか
そう思ってしまって行動する。
認められたい、存在意義を見出したい
誰もが思うことです。

基本的にぼくは諦めるのは嫌だから
なんとか方法はないか考えてしまう。
方法を考えぬこうとする行為は
大事だと思ってずっと考えてきたけど、
どうやらその方法では
成果は得られないみたいだ。
結果いつも成果は得られていない。

諦めずに考え続けることは大事だけど
今考えること、考える方法を
間違ってやしないか?と思った。

ぼくは自分の気持ちを信じて
自分の思うように努力したり
どう考えればいいのかとか
ずっと取り組んできたし
その努力で完成した絵も
何枚かあるけど、
今のまま頑張れば頑張るほど
ぼくは孤独になる
頑張る意味をなくしてしまう。
僕は誰にも求められない努力をしてる。
自分でも何を達成したいのか
わからなくなってる

ぼくは認めてもらいたいと思うように
なってしまった。
自分で自分を救えなくなってしまった。


間違っている気がする。

自分に価値が見出せなくなる。
なんのために頑張るのか
もうスタートの時点で楽しくなくなっている。
他人が気になりすぎて
何が本当に好きだったかわからなくなっている。
絵を描いたり、ものづくりをしたりするのは
誰かに喜んでもらいたいから、
そう思うようになればなるほど
喜んでもらえなかった時の
悲しさや何もかもがどうでもよくなる気持ち
自分の気持ちが嫌になる
せっかく頑張って作っても、描いても
認めてもらうことを求めてしまった時点で
僕は不確かな幸福を目指して努力することになる。
無駄な自分だと落胆も激しい。

他人の気持ちは他人だけのもの
喜んでくれるかどうかは相手の気持ち次第。
僕がどうこうできることじゃない。

僕ができることは
ものを作って
相手の手の届く、目の届く場所まで
持って行くこと。

まずそこまでなのに
結果を求めてしまう。
結果を想像してモチベーションにしないと
頑張れない。ただの人間。

僕は見えなくなる。
自分でできることの境界線が。
救われたくて、認めてもらいたくて
いいものを作ろうとしている。
相手の反応に満足できない。
人の反応に満足できない。
いつの間にか自分の自己評価と
他人の評価の間にずれが出てる。
僕は他人に
何も求めていないふりをして
他人から逃げてる。

僕は他人のことが何もわからない
コミュニケーションができないのに
相手の喜ぶことがしたいと思っている。
虫がいいのはわかってるけど
僕にはこのやり方しかできなくて

僕はコミュニケーションがしたくない
自分のしたいことができなくなる
できるはずだったことができなくなる
できると思っていた自分がバカに見える。
何もしたくなくなる。

僕はコミュニケーションがしたくないと
思いつつも、いつの日か楽しく認められる日が
来るのを今日を生きるモチベーションにしている。

無い物ねだりに気づいていない。

人が求めるものができない
どうバランスを取ればいいのかわからない
結局は僕の実力の問題を
環境や他人の反応のせいにしている。

僕の生きかたには
心が無さすぎる。
言葉が無さすぎる。
伝えたいものが無さすぎる。
意味が何もない。
一人でいれば
僕はどこにもいないのと一緒だ。
でも僕は一人でいないと自分を嫌いになる。

自分はこうなんだって明確に向き合う。
僕に足りないのはそれだ。
自分の生き方を決める時なんだ。

他人の意見を受け入れた上で
自分にできる線まで頑張り抜く。
そんな頭の中の区切りが必要だ。




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